◆ 起の章 ◆

その1「かたな、にくをつきやぶる」
その2「しろとくろのつばさ」
その3「そらをとぶ」


・その1
自分はもっと、うまくやれると思っていた。

自分はもっと、痛みに耐えられると思っていた。

刺されても、
斬られても、
殴られても、
歯を食いしばって、
立ち続けられると思っていた。

決して膝を地につけず、
ただ前を向いて、
向かってくる者の殺気から目をそむけず、
瞳に宿る殺意目を逸らさず、
物怖じすらせず、
刃の柄を握り締めていられると。

……あっけないものだ。

槍を手にした敵兵が押し寄せ、
その先頭に刀を振り下ろした。

一の太刀を弾かれ、
脇腹に深く突き刺さった槍の痛みに
身をよじったが最後、
私を囲んでいた兵の槍が体のことごとくに
突き刺さり貫き……とめどなく
真っ赤な鮮血を噴出させた。

終わりの時には、
「もう駄目かもしれない」などと思わない、
そんな風に思い返せるのは、
こうして死んだ後になってから。

死して屍になったなら、
極楽浄土へ行きたいか、と問われたことがある。

幼い頃、亡き父が私に問うた言葉だ。
そうは思わない、私はそう答えた。

鎧兜に身を包み、
太刀と槍を携え戦に向かう
父の姿を見て思った。

父は自ら言った通り
必ず生きて帰ってくる。

そして私も同じように戦場へ赴き、
武勲を立てるのだ……と。

だから極楽浄土へ行けなくともよい。

他人に厳しく、家族に厳しく、
何より自分に厳しい父だった。

その父が固く締まった顔の筋肉をゆるめ、
こぼれてとろけおちそうな笑顔を見せて私を抱きしめた。

「ここを極楽にするのだ、お前が」そう言って
耳元でもう一言「母上を頼んだぞ」と囁いた。

心中をよぎる自らの死、
その予感を父は口にしたのだと、
私は後になって気付いた。

それなのに、私は父と同じように
自らの意志で戦へ向かい、そして同じように
崩れる味方のしんがりを勝って出た挙句……
敵の勢いを押しとどめるにも至らず朽ち果てた。

父が私に託した望み、
一家の幸せな営みが実現することはなかった。

最後の一人だった私は、こうして
呆気なく討ち死にしたのだから。

後悔の言葉も、へらず口も利いている余裕は
ありはしなかった。

雨の中、ただ地に伏し
そこに居たのであろう敵を見つめたままの目を
見開いたまま、無念の形相を晒している。

あの世には、寒さも暖かさも
ありはしないと思っていた。

死体に語りかけても言葉が届きはしないように、
何も感じないのだと。

だがどうだ、降りしきる雨の中、
累々と積み上げられた屍の山を見る
わが心境たるや、とても無感になったとは言い難い。

時間はいまだに、肉体を失った私の中にも流れている。
刻一刻と経つにつれ後悔の念は強くなり、
私をそこから動かそうとはしない。

やがてカゴを背負った盗賊らしき
子供たちが現れ、夜が明けきらぬうちに
屍から身包みを剥いでいった。

穴のあいていない鎧、
使われることのなかった刀、
槍においても……また然り。

だが、私が彼らの目に留まることはなかった。

背の高い草の陰に倒れている私の姿が
目に入らなかったのだろう。

誰の目にも留まらず、
私の屍はただ地に伏している。

他のそれと同じように、
やがて腐敗が始まり
動物の餌になり
あるいは時によって肉も血も地に還り
白い骨を晒すだろう。

その時まで、私はここで
それを見守り続けるのだろうか……?
・その2
「困るんだよな」

言葉が聞こえて、驚いて後ろを振り向いた。

見たことのない顔がそこにあった。
いつからそこに立っていたのか分からない。

……いや、死した今となっては立つだとか気配だとか、
そのようなものを感じることそのものがないのかもしれない。
どちらにせよ、今となってはどうでもいいことだった。

子供。
戦場に子供が立っている。
現実離れした光景だと思った。

生きている人間でないと一目でわかった。

私の姿が見えているのだ、
生きている人間であろうはずもない。

だが、私がそう感じたのは他にも理由がある。

戦場でも、町でも、
子供でなくても、大人でも、
これほど綺麗な……いや、
汚れていない人間を私は見たことがない。

髪を結わず、ただ伸び放題になった髪の毛、
薄い「とおし」の服が胴から脚までを
覆い隠している。

「ほら、やっぱり聞こえてる。
 あたしの声、ちゃんと届いてるよね?
 おじさん」

声帯を動かそうとした私は「そんなことしなくたって、
思えば聞こえてるよ」という子供の声で遮られた。

「私は……」

「死んだ。おじさん、ずっと自分の死体
 見てたでしょ? 気付いてないわけないよね」

言われて絶句した。
身体も心も、自分以外のなにかに触れてはじめて
そこに在ると思えるものだ。

私は死んで、はじめて会ったこの子供に
自分が無念の死を遂げたことを
確認させられたのだ。

必然、言葉を失った。

「地獄でも天国でもいいけど、
 はやくしてくんないと。
 超こみこみなんだから、早く選んでよね。
 でないと。
 あんたずっとココに居ることになるよ?」

人形のような長い髪の毛を振り乱し、
子供は私にまくしたてる。

「生き……」

「できない」

腕を組み、断固として阻むと言わんばかりに
目を細めて子供は言った。

鋭い視線が刃のように光を反射し、我が身を照らす。
冷たい言葉だった。

「何者だ」

「あんたみたいなのを、次から次へ
 アッチへやったり、ソッチへやったりする人。
 それ以上の質問が必要なワケ?」

肩をすくめて子供は言う。

「…………」

流行り病で亡くなった妹を思い出した。

薬を買う金があれば、助けられたかもしれない。
母を亡くし、二人で助け合い生きてきた。

私のような兄には勿体無いくらいの
しっかり者で、村一番の器量良しと評判だった。

生きていれば、名のある旗本の目にも
留まったやもしれぬ。

この子は、妹に似ている。

面影、話し方……どことも言えぬ
たたずまいが妹を想起させた。

「私は、負けたのだな」

何よりの証拠である自らの死体を見ても、
実感できなかったものが今……ありありと
心の中に浮かび私にそう言わせた。

「もーっ!」

少女は片足を上げ、
地面らしき部分を力強く踏んだ。
何度も何度も、苛ついて仕方がないという様子で。

「アンタみたいなの、いくらでもいるんだから。
 自分だけ可哀想、みたいなのやめてくれる?
 とっとと、ほら。
 これのどっちかにサインして。
 あ、名前ないなら親指でもいいから。
 この際、足の指でもいいし」

「断る」

「はぁっ!?」

この後にどうなるのか知らないのに
断るも何もあったものではない。
なのに、私は自分でも驚くほどのキッパリとした
強い口調でそう答えていた。

何が私にそうさせたのか分からない。
ならば彼女にも……だろう。

「まあいいや、もう構ってらんない。
 他が詰まってるから、次いくね。
 いっとくけど。
 ジバクレイになって後悔するのは、アンタだからね」

「また来るのか」

「へ?」

「また、ここに戻ってくるか?」

「なに……。
 おっさん、あたしに惚れたとか?
 冗談やめてよ、死んだクセに」

そう言って少女はケラケラと笑った。
物怖じせず言い切り、はっきりとした態度。
妹に、ユキによく似ている。

「はいはい、おもろいおもろい。
 自分のカラダが腐ってくの、
 じっくり見てなさいな。
 じゃあね」

少女の背中から2枚の翼が生えて、
大きく羽ばたいた。

「羽根……?」

「ジロジロ見ないでよね!
 あたしだって、気にしてるんだから!!」

黒と白の翼が一枚ずつ。
大きく上下するたび、燐粉のように輝く粒子が
生まれては消えていく。

「……羨ましい」

「ぶっ。
 ……ふん、あげないよーだ。
 なんてね!」

翼が一際大きく羽ばたいたかと思うと、
少女の足が地面から離れ
見る見るうちに遠くなっていく。

それから。

私の元には、何度か同じような者が訪れた。

大人、老人……姿は様々だが共通していることが
一つだけあった。
翼だ。

背中に、黒く大きな翼が備わっている。
彼らは私の佇み続けるこの場所へ来る時も
去っていく時も、その翼を大きく羽ばたかせる。

ある者は強く私を説得し、
ある者は呆れた様子で直ぐに去っていった。

私の屍が雑草に隠れ、肉が削げ落ちても
私はまだ待っていた。

彼女を。
・その3
「バッカじゃない?」

ハッとして振り返り、そして空を見上げた。

「もう、どっちにも行けやしない。
 誰もアンタの死体に気付きもしない。
 何年も何十年も、いいや、もしかしたら
 何百年も、ずーっと、ずーっと!
 ここに放置されたまんまかもよ?
 いったい何がしたいのさ。
 死神に嫌がらせ?」

「……しにがみ?」

「あたしたちのコト!」

人差し指を私の鼻先に突きつけ、
少女は憤った様子で喋る。

「噂になってんだからね。
 あたしのこと待ってる、変な人間が居るって!
 メーワク極まりないよホント。
 あんたが同じ死神だったら絶っ! 対っ!
 訴えてるもんね」

「……邪魔かね」

「邪魔にきまってるでしょー?
 なによ。
 なんで笑ってんのよー!」

指摘されて気が付いた。
そうか、私は笑っていたのか。

「ホンッと変なやつ。
 だいたいね!
 ちょっと、聞いてる!?」

「ああ」

「……んもぅ!
 あんたの所為で、あたしはジバクレイの担当に
 回されちゃったんだからね!
 どうせもう申請通らないんだから、
 ほら、とっとと来る!」

少女は私に詰め寄ると襟をむんずと掴み
翼を大きく羽ばたかせた。

ふわっ、とカラダが地を離れたかと思うと
今まで見ていた自分の死体が見えなくなっていった。

「ああ〜っ、もう!
 死んでもこんっな重いモンつけてんじゃ……
 ないわよ!」

バラバラと音がして鎧が落ちていく。

「……あんなものを着けていたのか」

「気付いてなかったの?
 いったい、何日経ったと思ってんのよ」

なんにち。
実感していた事だが、
本当に時間が経過しているなんて。

しかもその間、私は死んだ時と同じ
窮屈な鎧を身にまとい続けていたのか。

無感とは言いがたいが、
鈍感にはなっているのだろうと思った。
そんな私が、空を飛び……その感覚に驚いている。
新鮮、そんな言葉で片付けられるものではない。

鳥のように、いいや鳥よりも速く。
眼下に映る鳥を追い越して私たちは飛んでいく。

「……私に何をしろと」

「それはこっちの台詞だっての!
 何よ。
 ジロジロ見ないでよね?
 ちょっと! ひっつきすぎ!
 少しは遠慮しなさいよ!!」

「ああ……じゃあ、少し離れ」

「ああああっ、あぶないっ!
 あんた落ちるところじゃない、やめてよね!?
 また探し回るはめになるのは
 あたしなんだから!」

肉体を失ってなお、人は天と地の間に居る。
どうやらその運命からは逃れられないようだ。

「……私にどうしろと」

「もぉーっ!
 それもあたしの台詞よ!!」

コロコロと表情がよく変わる。
本当に、ユキに似ている……気がする。

思えば薬も買ってやれずに妹を死なせた
無力な自分を責め、戦で武勲を立てれば何かを変えられると
意気込んだのが私の戦死の原因かもしれない。

……いや、焦っていたのだな、私は。
負け戦と知りながら参加したのは、
自分が許せなかったからに他ならない。

何かしていないと、自分が自分でいられなかったのだ。
私は、ユキに謝りたかったのだろうか。
許してもらいたかったのだろうか。

いずれにせよ、死んでから後にユキに似た少女に
出会うなど、想像すらもしていなかったが……。

「ねえ」

「?」

「そんなに似てるわけ?
 あんたの妹に……あたしが」

「!」

そうだ、口に出さずとも言葉は伝わるのだ。

「……ああ、とってもよく」

なんとなく、少女を見た時に抱いたその印象は、
確信に変わりつつあった。



つづく